自費出版-社史・記念誌、個人出版の牧歌舎

社史編纂・記念誌制作

社史職人からのメッセージ

「意味」の意味を考える

 もし、人類が死滅してしまったら、世界は意味を失うか……と問われれば、何と答えるべきであろうか。

 人が「意味」という言葉を使うとき、それはたいてい、「人にとっての意味」である。つまり、人類の主観が付与するものである。  しかし、例えば、リンゴが木から落ちるのは万有引力の存在を意味するのであるから、これは人類の主観が生んだものではない。この「意味」はたとえ人類が死滅しても存在し続ける「意味」である。そもそも人類の存在自体が物理法則がもたらした現象以外の何物でもなかったわけであるから、結局のところ、世界は物理法則による物理現象のみが存在するとするのが正解である。

 普遍性は、物理法則のほうにあって、人類の主観にはない。

 にもかかわらず、人は主観的な意味を問い続ける。極端に言えば、喜怒哀楽がすべてであり、結局、人生は哀しみに帰する営みの連続である。

これを、人が主観に必要以上にとらわれることなく、物理法則をこそ「意味」ととらえ、そこに幸福の根拠を認識できるように進化させることは可能だろうか。

 私は、そうしたことが可能であり、その「切り替え」が必要な気がしてならない。

 人の歴史は幾度も「戦争の方程式」に陥り、平和をこわし続けてきた歴史であった。「平和の方程式」が築かれるには、「意味」の意味が人間の主観でなく物理法則に切り替えらえることが必要なのではないか。

 「悟り」とか「済度」とかいうのは、畢竟、そういうことではないかと思うのである。

 社史すなわち企業の自分史というものも、そういう方向性の上に考えていかなければならないということになろう。

2021.12.05 牧歌舎主人

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