社史の制作だけでなく、どんな仕事でも、進めるにあたって気をつけなければならない「落とし穴」として、携わる人の「驕り」の問題があると思います。
社史制作の場合、一方は「制作のプロ」、もう一方は「その会社のプロ」なわけです。すると、往々にして「自分の方がよく知っている」という“優越意識” みたいなものが頭をもたげるのです。ここに、溝ができる。ふつう、この溝は互いに相手の立場などを思いやりながら徐々に埋まっていく、あるいは一つの目標に向かって“妥協”されていくものですが、この溝が最後まで続く場合もあります。
制作側としては、「その会社のプロ」であるご担当者の言われることによく耳を傾けないたために行き違いが生じることをよく経験します。お客様の言葉に虚心に耳を傾け、言おうとしておられることを微塵も漏らさず理解しようと努めるのが基本姿勢だと思います。
たしかに、ご担当者あるいはお客様であるその会社に対して、予算やスケジュールや作業の遅延などで苛立ちを覚えることはあります。しかし、それは制作側の「理屈」であって、お客様にはお客様の「理屈」がちゃんと存在します。ここに落とし穴がぽっかり口をあけています。
忍耐強く、冷静に、驕ることなく、経験と技術を駆使して、お客様に喜んでいただける結果を生み出すのが社史制作のプロではないかと日々考えています。
以上は制作側の「驕り」について書きましたが、お客様側の「驕り」もいろいろな場合にあり得るもので、結局はマイナスに働くものです。制作側、お客様側どちらにとっても、やはり、社史制作の基本は「自分の中の驕りに気をつけよ!」だと思うのです。
(東京本部 ライター 村田猛雄)