「記念」という言葉を国語辞典で引きますと、
「① あとの思い出として残しておくこと。また、その物。 「卒業を−して植樹する」 「 −品」 ② 過去の出来事への思いを新たにし、何かをすること。 「 −の行事」」(大辞林)
というような説明がなされています。
①は「物」であり、②は「行動」ですが、両者の説明に共通して入っているのが「思い」という言葉です。つまりは「思い」を「物」に込めるか「行動」に込めるかということであり、どちらにせよ記念とは「思い」という目に見えないものを目に見えるようにする、ということになります。
この「記念」という言葉、けっこう昔から使われていたようで、1700年ごろ発行された松尾芭蕉『奥の細道』に、
「七宝散うせて、珠の扉風にやぶれ、金の柱霜雪に朽て、すでに頽廃空虚の叢と成べきを、四面新に囲て、甍を覆て雨風をしのぐ。しばらく千歳の記念とはなれり」
という一文があります。
平泉の金色堂について書いたもので、立派なお堂も朽ち果てて、そのままでは元の草むらに戻ってしまうところ、四方を囲み屋根を付けたので、永く元の姿を偲ぶよすがとなっている、という意味です。つまり芭蕉が書いた「記念」とは「よすが」の意味であり、「かたみ」とルビが付けられています。「記念」と書けば「かたみ」と読むようになっていたようです。
しかし、不思議なのは、「かたみ」には「形見」という漢字がもともとは当てられており、当時もそれが普通だったと思うのですが、なぜ同じ読みで「記念」も使われ、通用していたのでしょうか。それはおそらく、漢字の本場である中国でこの語が「かたみ」の意味として使われた用例があったからだろうと推察されますが、それにしても日本人の芭蕉が「形見」でなく「記念」を使ったのは、字義からしてこちらのほうがふさわしいと考えたからだろうと思われます。
「形見」とは個人を偲ぶ遺品であり、それが転じてある出来事を思い出すよすがとなるものをも「形見」という言葉に委ねる語法が広まったのでしょうが、そうなってくると「記念」のほうが文字としてふさわしいという判断も生じてきたということではないでしょうか。「遺品」という「物」よりも「思い出す」という「心」を言語化しようとする試みではなかったかと考えられるのです。