「凡例」に続いて、現代の社史なら口絵とか目次、巻頭挨拶などがあるのが普通ですが、本書にはそういうものは一切なく、最初の行に「上毛繭糸改良会社沿革史」とあって、次の行からいきなり「上毛古代の蚕業」の見出しの下、地域の蚕糸業の歴史紹介から始まります。ちなみに「上毛」とは「上野国」(こうずけのくに)の別名で、概ね今の群馬県全域に当たります。
その記述によれば、「今を去ること千有余年前」の醍醐天皇時代にまとめられた法制集『延喜式』の中に蚕糸業を行う数十の国が3ランク(上糸国・中糸国・下糸国)に分けてリストアップされてあって、上野国は最低の「下糸国」に属していて、「この表によりて見ればわが上毛の蚕業はすこぶる幼稚なりしが如し」と残念そうに書かれています。
ただ、以後時代が下って江戸時代の書物にもこの地の蚕業について書かれたものがあることから、古代から連綿と続いてきている産業であることは間違いないとし、「その業はおおむね婦女子の手に一任し、男子はわずかに桑樹の刈り取りに助力せしのみ」ではあったものの、「当時製造の生糸は江州商人の手を経て西陣織の原料に供したるもの少なからざりしという」と記されています。
次の項「上毛近代の蚕業」に入ると、叙述ぶりが一躍勢いづいてきていますので、項の全文を紹介します(古めかしい難しい漢字は平仮名や別の字に替え、句読点も補いました)。
「安政六年六月一日横浜開港の事あるや、蚕糸の需要とみに増加し、全国蚕業の景況大いにその面目を改め、わが上毛の如き今や品質精良を極むるのみならず産額もまた多大にして、これを延喜の昔に比すれば上下その位置を転倒するに至れり。誠に明治十八年、東京上野公園地に開設したる繭糸織物陶漆器共進会において調査せし一表を録せばすなわち左の如し。」
(ここで蚕業を行う県のリストが掲げられ、ランク別に「上糸県」3県・「中糸県」20県・「下糸県」20県が示されていて、群馬は「上糸県」3県のトップに挙げられています)
「千有余年の日月もとより短きにあらずといえども、以上の二表を見る者だれかその盛衰の甚だしきに驚かざらんや。そもそも蚕業の盛衰は地方人民の盛衰なるのみならず、国家の興廃に関する大なり。蚕業家たる者、深く顧(おも)わざるべからざるなり」
約1000年前の表とそれから1000年後の当時の表を比較して見せているところに「ドヤ顔」満開のの得意の様子がうかがわれてほほえましい限りです。また編集の趣向として二表を引っ張り出してきて対比させるというアイデアを思いついたことへの「してやったり」感も誌面に弾けています。参考になりますね。
そして、これに続いて会社設立の経緯が語られることになります。(この項続く)