「かたみ」を「記念」と書き「記念」を「かたみ」と読む習慣は幕末まで続いたのですが、明治維新前後からは「記念」を「きねん」と読むことが始まりました。埼玉大学小野寺史郎博士の論文に、次のように記されています。
「幕末に刊行された堀達之助の『英和対訳袖珍辞書』(1862年)で、名詞memorial の訳語に「牌銘.記念徴.物語リ」とあるのが確認できる。「記念徴」を何と読むのかは不明だが、同書を元にしたと思われる『和訳英辞書』(第3版 1869年)は、これに「牌銘(ヒメイ)。記念徴(カタミ)。物語(モノガタリ)」とルビを振っている。
また『英和対訳袖珍辞書』のremembranceの訳は、1862年の初版では「思ヒ出スコト.考ヘ.遺物」だが、1866年の再版に際して「思ヒ出スコト.記臆.記念.覚書」と改訂されている。こちらは『和訳英辞書』では「思ヒ出スコト。記臆(ヲク)。記念(子ン)。覚書(ヲボエガキ)」とルビが振られており、「キネン」と読むものと思われる」
「1871年末から1873年にかけて欧米を遊歴した岩倉使節団の記録である久米邦武『米欧回覧実記』(1878年)には、次のような用例が見える。
「今大統領舘前ノ游苑ニ、査其遜躍馬ノ銅像(牧歌舎注:第7代大統領ジャクソンの騎馬像)ヲ建ツ、蓋シ此英断ノ美ヲ記念セル所ナリ」
有名なヘボンの和英辞典でも、「記念」の関連は、1867年版では名詞として「KATAMI,カタミ,記念」の見出し語だけだったのが、1886年版(第三版)では「KATAMI,カタミ,記念」のほかに「KINEN キ子ン 記念」「KINEN-KWAI キ子ンクワイ 記念会」が加わり、どちらもcommemorationの語を使って説明されるとともに、「KINEN」の用例としては「記念する」「記念碑」が挙げられています。
このように、明治維新の数年後から「記念」を「かたみ」でなく「きねん」と読むことが始まり、また、それに続いて、「記念碑」をはじめとして「記念○○」という言い方で表される事物が増えていったという事情でした。
では「記念誌」の事始めはどのようなものだったのでしょうか。