記念誌・社史 よもやま話12 | 近代日本の「社史」第1号 | 社史編纂・記念誌制作32年の牧歌舎

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記念誌・社史 よもやま話

12.近代日本の「社史」第1号

 日本最古、いや世界最古の企業としては敏達天皇7年(578)創業の大阪の建設会社「金剛組」がよく知られていますが、日本での株式会社の第1号は幕末の慶応元年(1865)結成の坂本龍馬の「亀山社中」がそれに当たるとされています(株式会社の定義においては慶応3年(1867)に小栗忠順(上野介)が設立した「兵庫商社」が、あるいは豪商三井組・小野組が作った銀行が明治6年(1973)に改組した第一国立銀行が第1号とする異説あり)。

 それでは日本での「社史」の第1号はどんな書物だったのでしょうか。

 もちろん、昔からある老舗の記録などは近代以前からあるのかもしれませんが、現在一般的に「社史」と呼ばれているものと同列の条件を備えているものとしては、明治13年(1870)発足の「上毛繭糸改良会社」が明治24年(1891)5月に発行した『沿革史』がそれに当たります。
 これは、群馬県内の生糸業者の輸出組合で、当時は「会社」に組合の意味があったためこういう組織名になりました。ちなみに「改良」は、繭から糸を繰る方法を、従来の単純な手作業から、機械など改良装置の利用に変えていることを意味します。
 対象期間は明治13年から23年までの10年史なのですが、本のサイズは菊判(150㎜×220㎜)で全452ページの大作です。原稿を書くだけで10年の内3〜4年は費やしたかと思うほどですが、表紙をめくった第1ページに「凡例」(編集の大要—まえがき)として次のように書かれています。漢字の多い文語文なので、原調を崩さない程度に平仮名化するなど現代表記化しました。

「一、本誌は本社創立以来の事蹟を記して後日の参考に供せんため編纂せしめたるものにして、その印刷に付せしは謄写の労を省かんがためなり。
 一、編纂の順序は別段確定したるにあらず。ただ既往十余年間の事実を列挙せしめたるのみ。
 一、本誌の材料は会社現在の書類と実歴したる株主の日記等にして、かの明治二十三年中、調和いまだならざる時の如きは会社内の事蹟すこぶる少なくして創業株主の運動やや詳密なるが如しといえども当時の事情会社内の事蹟を詳知する能わず勢いやむを得ざるなり。
 一、書中載すべきの参考書類はなお少なきにあらず。然れどもいたずらに丁数の増加せんことを恐れ必要なき分はこれを省けり。

明治二十四年三月」

 なんとも無造作なまえがきですが、これをみると当初は謄写(当時は謄写版はまだ使われていなかったので、ここでは書き写して「写本」を複数冊作ることのようです)の予定だったのを、それでは手間がかかりすぎるので当時広まり始めていた活版印刷を利用することにしたもののようです。
 次回は内容を見ていくことにしましょう。今日の社史づくりに参考になるものがあるかもしれません。




(※周年記念誌の具体的な作り方については「記念誌・社史の制作手順」(準備〜その1〜その6)をご覧ください)

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