「会社」という言葉がわが国で使われるようになったのはいつ頃で、どういう経緯でそうなったのでしょうか。ものの本によると、やはり蘭学において、それまでなかった概念を日本語に置き換える際に漢字の熟語にするという、他の多くの例で用いられた方法に拠ったようです。
その初期の用例で代表的なものとして、慶応2年(1867)刊行の福沢諭吉の『西洋事情』の中に、「西洋では、独りではできない大きな商売をやろうとする場合に5〜10人の仲間で起業することがあり、これを商人会社という。この商社はさらに資金集めのために一種の手形を多くの人々に売って、年々利息を払っている」(現代語訳)という記述があります。
続いて明治2年(1869)には政府に「通商会社」「為替会社」という二つの組織が設置され、「通商会社」は内外の商売を行い、「為替会社」は「通商会社」の金融面を支えることとされました。政府の中に置かれたのですから、「会社」といってもここでは後の株式会社などと異なり、新たに生まれた「役所」だったのです。
このように、幕末から明治にかけて、オランダ語ではbedrijf、英語ではcompanyの訳語として「会社」が使われることが多くなるのですが、いくら『西洋事情』などで「会社」という漢字をを読んでも当時としてはほとんどの日本人が実態を知らない新語であったために「ヤクショ」「なかま」などとルビを振られるケースが多く見られました。
民間会社という組織体がほとんどない日本に組織体を示す外国語が入ってきて「会社」という訳語が作られたので、主に公的組織や組合的組織に「会社」という言葉が用いられることになったようですが、やがて、欧米ではそういう公的組織が「会社」と呼ばれることはないということが分かってくると、だんだんと民間の組織専用に「会社」が使われるようになっていったのです。