記念誌・社史 よもやま話7

社史編纂・記念誌制作

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記念誌・社史 よもやま話

7.記念誌に表れた記念式典(3)

(前項より続く)

表彰者氏名
鳥尻郡視学(しがく—学事の視察および教育指導に当たる行政官) 菅野喜久治君
真和志尋常高等小学校長 樋口芳生君
具志頭尋常高等小学校訓導(くんどう—現在の教諭) 知念三郎君
高嶺尋常小学校准訓導 山城良助君
第一大里尋常小学校使丁(してい—用務員) 宜保安全君
(以下略)

二 招魂祭
 記念式に引続き郡内教員在職中死亡者の招魂祭を施行せり。
 来会者一同厳粛なる祭壇前に列席するや祭主斎藤部会長の挨拶ありて、僧侶の読経、遺族の焼香、祭主の祭文(さいもん—神を祭るときに読む文)、来賓及び一般会員の燒香順次行われしが、会場寂として故人の姿眼前に髣髴たるの感ありき。左にその祭文及び死亡者氏名を掲ぐ。

祭文
 時これ明治四十四年六月二十二日、島尻郡教育部会長正六位勲五等斎藤用之助清酌庶羞(せいしゃくしょしゅう—神にすすめる酒ともろもろの供物)の典を設け、謹みて故小禄尋常小学校長小島彪輔外十一名の英霊を祭る。
 顧みるに、諸士の本郡教育に従事せられしは、年に前後長短ありしといえどもその職務に精励奮闘しついに職に殉ぜられし点においては同一なりとす。惟(おも)うに教育の事業たるや偉大なる人格に俟(ま)たざるべからず。故に諸士の如き有為なる教育者を失いしは真に本郡教育上の一大不幸なりしなり。然れども諸士の後継者は皆よく諸士の心を以て心とし、斯道のために粉骨砕身奮闘の結果今や郡教育は日に月に進歩発展の盛運に趣き、現下の状況を呈し諸士の所期に達しつつある所なり。
 是に於て諸士の霊いささか慰むる所あるべし。ここに島尻郡教育部会二十五年記念会を挙行するに際し、郡教育に対する諸士の功労を追念し、ここにこの祭典挙ぐ。尚(こいねがわ)くは在天の霊髣髴として来たり饗(う)けよ。

明治四十四年六月二十二日
鳥尻郡教育部会長正六位勲五等 斎藤用之助

死亡者氏名
故糸満尋常小学校准訓導 上原亀一
故兼城尋常小学校訓導 玉城赫遼
故文喜高等小学校訓導 金城三郎
(以下略)

三 宴会と余興
 紀念式祭典順序よく終るや来賓会員一同まず記念写真の撮影ありて余興に移る。
 過般来沖の伊牟禮氏の薩摩琵琶(吉野落本能寺)あり、吉田氏の軍談あり共に聴衆の傾聴に値せしが如し。次は宴会。
 男子席は縁蔭滴る榕樹(ガジュマル)の下に、女子席は清飾瀟洒の舎内に設けられ、立食の饗応あり。
 歓談笑語場に充ち、部会発展の前兆も見えて芽出たし。
 時に男干席に於ては郡内教員の選手の撃剣および唐手あり。婦人席に於ては女教員の奏楽および福引などありて時の移るを覚えず、解散せしは午後六時半頃なりき。



(※周年記念誌の具体的な作り方については「記念誌・社史の制作手順」(準備〜その1〜その6)をご覧ください)

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