(前項より続く)
○式順
一 会員入場
二 来賓入場
三 開会の辞
四 国歌(二回)
五 勅語詔書捧読
六 式辞
七 表彰
八 祝辞及び演説
九 表彰者総代答辞
十 閉会の辞
○式辞
時これ明治四十四年六月二十二日、島尻部会創立二十五年記念会挙行にあたり日比総裁閣下をはじめ諸彦(しょげん—皆様〈特に男性〉)の臨場を辱(かたじけの)うす。本会の光栄何者かこれに加えん。
そもそも当部会の濫觴(らんしょう—始まり)は明治十九年にあり。
当時、宮田太郎、大原七次郎、樋口芳生、大坪喬義発起者となり、各教員相互の気脈を通ずべく島尻教育談話会なるものを設立し、時々集合以て教育の普及進歩を謀りつつありしが、その機運熟し明治二十年四月に至り組織的会合となすべく島尻部会と称し本県私立教育会の支部会となり、爾来(じらい—以後)二十有余年星霜を経過し、その間盛衰隆替ありしといえども時勢の進運に伴い漸次歩を進め、今や会員三百八十余名の多きに達し、事業また拡張しつつあり。
今その事業の重(主)なるものを挙ぐれば、教育に関する (一字アキ)勅語の御趣旨の貫徹を図りしこと、知名の士を招聘し講習会を開き以て会員各自の修養を図りしこと、同士向上会を組織し県外視察を奨励せしこと、夜学読本を編纂し活動写真を購求し以て郡内社会数育に資せしこと、消費組合を設けて児童文具の普及統一を図りしこと、教員相護団を設けて会員救助の逍を開きしこと、研究委員会を組織し以て教育上諸般の研究をなすこと、その他教育品展覧会の開設、郡内教育功労者並びに善行者の表彰、学年会及び隣校研究会の設置、日露戦史の編纂などなり。
今や我国教育上の施設経営は国運の伸長に伴い改善を要するもの甚だ多し。思うに学校における内容実質を図り、また日進月歩の文運に対し社会教育上改善を加えその普及を図るは方今(ほうこん—現在)の急務にして社会全体の協力に待たざるべからず。
庶幾は(こいねがわくは)自今会員諸君ますます健在にいよいよ奮励して教育の発達に力め以て優渥(ゆうあく—ねんごろで手厚い)なる聖恩(天皇の恵み)の萬一(万分の一)に答え奉らんことを。
いささか蕪辞(ぶじ—整わない言葉(謙譲語))を述べて式辞とす。
明治四十四年六月二十二日
沖縄教育会島尻部会長
正六位勲五等
斎藤用之助
(この項続く)