記念誌と年史、周年誌(社史など)4

社史編纂・記念誌制作

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記念誌・社史よもやま話

4.「周年記念誌」

(※周年記念誌の具体的な作り方については「記念誌・社史の制作手順」(準備~その1~その6)をご覧ください)

  明治末期から大正期にはこうして「記念誌」が盛んに発行されるようになりましたが、特に目立ってくるのが「周年記念誌」です。

 『島尻教育部会二十五年記念誌』(1912)、『創立第十周年記念誌(福島県立福島高等女学校)』(1913)、『宮崎県再置三十年記念誌』(1914)、『創立満十周年記念誌(上越学生寄宿舎)』(1915)、『公立奉天小学校第十周年記念誌』(1916)、『宇都宮銀行創立20周年記念誌』(1916)、『九州帝国大学医科大学小児科学教室創立拾年記念誌』(1916)、『大日本人造肥料株式會社創業三十年記念誌』(1917)、『天津民團十週年記念誌』(1917)、『嘉楽尋常小学校五十周年記念誌』(1918)、『土佐生糸聯合会創立拾週年記念誌』(1918)、『創業四十年並に本店新築記念誌(第八十五銀行)』(1918)、『乾尋常小學校創立五十年記念誌』(1918)、『宮城県農工銀行三十年記念誌』(1918)、『開業貮拾年記念誌(須賀川銀行)』(1919)、『油川町町制施行記念誌』(1919)、『株式會社益城銀行創立二十年記念誌』(1919)、『岡山県果物同業組合創立十週年記念誌』(1920)、『朝鮮総督府農事試験場二拾五周年記念誌』(1921)、『盛岡銀行廿五周年記念誌』(1921)――と、枚挙に暇がありません。

 中でも小学校と銀行の周年記念誌が多いのは、明治5年(1872)の学制発布と国立銀行条例布告により、江戸期からの寺子屋に尋常小学校が取って代わり、また渋沢栄一の多大な努力により欧米の銀行制度が取り入れられたことの結果であることは言うまでもありません。この後も、

 『磨屋尋常小学校創立五十年記念誌』(1922)、『新築落成・創立廿五年記念誌(神奈川県農工銀行)』(1922)、『勝山尋常小学校創立五十年記念誌』(1922)、『長島小学校創立五十年記念誌』(1923)、『創立十五周年祝賀記念誌(小田原高等女学校)』(1923)、『北海道銀行創立三十年記念誌』(1924)、『鳳鳴中学五十年記念誌』(1925)、『盲教育五十年記念誌(東京盲学校)』(1925)と、学校と銀行の周年記念誌が主流の時代が昭和まで続いていきます。

 特に、学校の周年記念誌が十数年の間にこれほど多く作られた例は、おそらく他の国にはないのではないかと思われます。

 その中身は、どのようなものだったでしょうか。大正期の代表として大正11年(1922)に出た『磨屋尋常小学校創立五十年記念誌』〈長崎県〉を見てみましょう。

 『磨屋尋常小学校創立五十年記念誌』の内容は、表紙をめくるとまず50年前の明治5年(1872)に出た「学制」の序文、「邑ニ不學ノ戸ナク家ニ不學ノ人ナカラシメン」で有名な「被仰出書」が掲げられ、続いて新旧の校舎写真、歴代校長の写真、現職員の集合写真、在校児童の集合写真(約1300名が菊判〈152㎜×227㎜のタイプ〉の一ページに収まっているので誰が誰だか分かりません)、「児童家庭会」(今のPTAか)の役員写真と一連の写真ページがあります。

 次に校長の「発刊の辞」があります。これによると、50周年の記念式典が開催されたので、これを機会にこの本を出す、ということで、まず記念の式典や祝賀会があり、これを記録するという建前で記念誌を出す、というのが当時のパターンだったようです。
 しかし、この磨屋尋常小学校山内久太郎校長の「発刊の辞」には、今では曖昧なきらいもある「記念」の意味が明快に語られていますので、その部分を引用します。

 「期スル所此ノ式典ヲシテ單二一時ノ御祭騒ニ終ラシムルコトナク、反省ノ機會ト發奮ノ動機トヲ此ニ見出シ、此ノ機二乗シテ一大躍進ヲ試ミ以テ効果ヲ永遠ニ収メントスルニ在リ、徒ニ既往ヲ回想シテ歴史ノ古キヲ誇ルナク、努力シテ以テ誇ルヘキ将来ヲ作ラムコト是レ我カ止ミ難キ衷心ノ熱望ナリ、仍チ所期ヲ告白シテ發刊ノ辭トナス」

 続いて「児童家庭会」会長の祝辞があり、目次があって前付部分10数ページが終わります。

 本文メニューは、まず「沿革」があり、つまり「年史」なのですが、いわば「年譜」であって、しかし現在の年表のように体言止めではなく、
「明治三十八年 三月十一日唱歌室ト宿直室トヲ分離スルコトヲ職員會ニテ協定ス」 「三月廿一日卒業生離別運動會ヲ道ノ尾公園ニ催ス」 という調子です。

 この「沿革」が全約160ページの内約40ページあり、次は歴代校長、歴代職員の名簿です。

 その後は「学校諸規程」で、「御影及勅語謄本ニ關スル規程」(御真影や教育勅語の取扱い規則)に始まって、職員の勤務規定、当宿直員の仕事、遠足の実施規定と注意、事務分担表、家庭とのコミュニケーション用冊子『家庭の友』を一学期に一回作る件、大掃除の件、図書室規則、等々多数項目が並び、これも40ページ近くあります。

 続いて「本学概覧」(敷地・設備の概要や家庭會、同窓會の紹介など)が20数ページあり、最後に卒業者名簿約20ページ、奥付で終わります。

 こうした初期の周年記念誌を読んでいて思うことは、現在では記念誌の「定番メニュー」として、ともすれば単に形式的なもののように見られがちになっている「巻頭挨拶」や、「祝辞」、「回想記」などの寄稿文が、その記念誌の「命」となっていることです。「特別な思い」が込められ、あふれ出ている、新鮮な「挨拶」であり、「祝辞」「回想記」などの寄稿文です。
 このことは今日の記念誌作りにおいて、しっかりと留意すべき事柄です。別項「記念誌・社史制作の手順 その4――寄稿者の人選と寄稿依頼」で言及しましたので、ご覧いただければ幸いです。



(※周年記念誌の具体的な作り方については「記念誌・社史の制作手順」(準備~その1~その6)をご覧ください)