自費出版-社史・記念誌、個人出版の牧歌舎

エッセイ倶楽部

牧歌舎随々録(牧歌舎主人の古い日記より)

023.

有事の際に備えて、細かな対応策を決めておくということは、一般的には大切なことである。たとえば震災などを想定して、より万全な態勢を築くのが望ましいのはいうまでもない。しかし、これが軍事的なこととなるとそう単純な問題ではない。
 歴史をみれば自明なように、また、現在の世界各地での民族紛争をみても分かるように、戦争は本来「起こりやすい」ものである。そしてまた、「起こしてはならない」ものである。それを考えると、「武」の備えというものは、単にこれを物理的戦略的に厚くするというだけで事が足りるとは思えない。
 防衛力の高度化はすなわち攻撃力の高度化である。攻撃力の高度化は「攻撃性」の高度化でもある。ある国の攻撃性が高まれば、他国との間に緊張が高まる。緊張が高まる分だけ友好関係は薄れる。全てが負の方向に向かい、戦争への道が開かれる。
 理想は非武装である。地上から兵器がなくなれば、戦争も起きようがない。しかし人間は一筋縄ではいかず、たとえば経済問題を武力で解決しようという輩も出てくるものであるから、そうしたルール違反の者に対する武の備えを持とうとする考えを否定することはできない。
 そこで、他国との緊張を高めずに武の備えを持とうとすると、当然、最小限の自衛力をめざすことになる。これが「軍縮」の基本理念である。