世界をありのままに落ち着いて見ようとせずに、自己を生かすということはできないのである。自己が生きるのは世界の中においてであるのだから、その世界がどういうものであるのか、自我を捨てた客観的な態度でとらえようという姿勢がなければ、自己実現の試みも一人相撲に終わるしかない。
理想への要求が強すぎる人は、得てして飽きっぽく移り気で、虚無感にとらわれたりしがちなものだが、事情はそういうことである。執着が空回りする時、人は飽きたり絶望したりするのだ。
どのような芸術も、夢想の強さだけで成功するものではない。夢想は重要な芸術の要素だが、静かで強い現実認識に裏打ちされてこそ、古今の名作は生まれてきているのである。
俳句における「客観写生」の意義はそこにある。現実を自分の目で確かに見よというのである。現実が自己に働きかける。それに応答して出るものこそ、真に生きた自己なのである。自己を生かすということは、実に現実世界の事物と対等に対話することにほかならないのである。
1997.05.12