死ぬということは、つきつめれば、「ちょっと淋しいこと」なのだと思う。それぐらいに表現しておくのが妥当だと思う。それ以上でも以下でもない。
死ぬというのは、「分母がゼロになる」ようなことだろう。分子がゼロになるのではあるまい。しかし何が分母で何が分子なのか。分母分の分子は何を表しているのか。
ある生命が生まれた時、世界に対する知覚が生まれる。生きるということは、つまりは知覚して反応することである。知覚と反応の間にあるものが、おそらくは「自我」である。自我を内部とすれば世界は外部であり、内外を関連づけるのが知覚と反応といってよい。
もっといえば、知覚は自我にとって外的なものであり、反応は内的なものと分けることもできる。
「分母」は内的なものであり、「分子」は外的なものである。では「分母」分の「分子」とは何を意味するか。自我によって処理された「世界」である。すなわち「われわれが世界と呼ぶもの」である。
1998.09.26