「人は何のために生きるや」と、大上段に振りかぶって問題提起し、勉強し、思索し、修業しても、結論は容易に出るものではない。まして私のような凡庸な者には、おそらく一生かかっても分かるまい。
そこで、小人は小人らしく、小さく偽りのないところを正直に言ってみよう。
人間は生まれたら死ぬまで生きるしかない。だからその間、できるだけイヤな事が少なく、面白い事が多く生きられれば、それが最善である。
言ってみれば、その時の気分で読みたい本を読むような、そんな人生でありたい。
大望をもって刻苦勉励、精進を重ねるのも良いだろう。そうすれば、大きな喜びを得ることも可能だろう。だが、大きな喜びを得るために苦辛の日月を耐えるというのは、それこそ凡人には過大な苦痛である。
むしろ、小さな喜びのために、なるべく自由闊達に生きていきたい。毎日が、面白くありたい。そういうことで、よいのだと思う。
毎日を面白くあらしめるためには、何を面白いと思うか、ということがまず決まらなければならない。そしてそれにはいろいろある。いろいろあるが、本当に「面白い」ということは、「面白おかしく」というのとは違うのである。
本当に面白い事というのは、それを知るのに、やはり努力が求められるのである。ピカソの絵を本当に面白く感じられるまでには、それまでの歩みというものが必要になる。目を肥やすことによって芸術から、より深い面白味がもたらされるように、自分の精神を肥やすことが、面白い人生を求めると自然と必要になるものなのだ。
ただ、その過程が苦痛であるべきだとは思わない。人生は最後まで「過程」なのだから、過程さえも、というより過程こそ、面白くなくてはならぬ。そしてその日々の喜びが、さらなる喜びへの肥やしとなりつづけていくような人生こそ望ましい。
そういう、ささやかで、平凡で、しかし日々小さい面白味のある人生を私は願うのである。そう、自分の気持ちに従って、読みたい本を読んでいくような人生を……。
1997.9.14