面白い、面白くないということでいえば、社史は面白くなくて当然である。企業行動というものは、ふつうは面白い原理によって発現するのでなく、だいたいはその逆だからである。
【社史制作者としての追記2019.02.11】
ただ、「だいたいはその逆」というのは、利益を追い求めることは通常は運命の強制下にあることが人間の本源的な「面白さ」と無縁と考えられる、つまりホモ・ルーデンスの理論とかみ合わないように思われるからであって、企業活動をゲームととらえることができるなら、一挙に社史は「面白いもの」になることができる。
まずは社史を「経営史」としてとらえれば、経営者にとって企業活動はゲームととらえられ得るから、そうしたコンセプトで制作された社史は、人間の本源的な「面白さ」となり得るのである。
そして、企業活動をゲームとしてホモ・ルーデンス的な、つまり人間として本源的な「遊び」としてとらえられるのが経営者だけかといえば、これも考え方ひとつであるということができる。
従業員は、ふつう思われているように自分の時間を金で買われて経営者の意思にただ従って労働しているものではない。
ホモ・ルーデンスの思想というのは、突き詰めれば、人はどんな状況にも遊びを見出すものだということだ。だからこそ労働もできる、というのが眼目のところだ。
結局のところ、人は「働いている」と同時に「遊んでいる」のである。これが隠れた真理である。
その部分を表すことができれば、社史は必ず面白くなるのである。牧歌舎はその視点で新しい、面白い社史を作っていきたいのである。
2000.02.18