憲法において戦争放棄をうたっていることの意味は、つきつめれば殺すよりも殺されることを選ぶということであり、またそうであればこそ全力でそうならないように平和的努力を傾けるということであろうと思う。日本の人民はそういう決意を示した憲法の下に生きてきたのであり、その趣旨に沿った平和的努力も営々と重ねられてきているのである。核抑止力でなく核廃絶によって平和を実現するという方法論は、そうした憲法の精神から自然に導かれる結論であり、被爆国として当然の態度でもある。
この、日本人民の命運がかかった平和的努力の成果を、大きく割引させてしまうのが、「核武装も検討の範囲」などとする、いわゆるタカ派政治家の武断的防衛論に基づく発言である。
当の政治家は「自分は問題提起をしただけであり、問題提起がいけないというなら議論は成り立たない」と開き直った。上等である。もちろんどんな問題提起も許される。平和的努力の成果をぶちこわすことになろうとも、言いたいことを言う権利は誰にもあるのだから、問題提起に名を借りて平和憲法を否定しようとしてもかまわない。しかし、自分が平和憲法を否定しようとしている事実は、はっきりと自覚し、かつ公表してほしいものだ。
もし、戦争放棄条項を捨てるということになれば、それは上記の決意??平和主義の努力を貫くという憲法における決意??を捨てることになるのである。
1999.10.26