自費出版-社史・記念誌、個人出版の牧歌舎

エッセイ倶楽部

牧歌舎随々録(牧歌舎主人の古い日記より)

092. いわしの話

 帝国日本の中国侵略を正当化する理屈の一つに、帝国主義の時代にあっては植民地獲得競争が生存のために不可避であったというのがある。今の常識で過去を裁くのは不当だというのである。
 われわれが毎日食べているいわしが、あるときから力を得、発言力を増大させて、われわれを糾弾しはじめたらどうだろうか。力で蹂躙し、あまつさえ食用に供された恨みをわれわれにぶつけてきたとしたら、「決して悪気はなかった。お前たちを食ってもよいというのは当時としては何の疑義もない正当な常識だったのだ」とわれわれは応じるのであろうか。
 そうでなくて、われわれは罪を認めるべきであろう。すまぬという思いをもっており、いわしを食べずに済ませようとすればできないではなかったが、横着にも深く問うことなく食い続けてきたことをわびねばなるまい。
 生きておれば他者を食う。罪なしでは生きられぬ。しかし開き直りは無道である。責められれば謝らねばならぬ。非を認めねばならぬ。生きるということは、そういうことである。