「文章を書く」というけれども、これは抽象的な言い方であって、具体的にいえば「見聞きしたこと」「感じたこと」「考えたこと」を書くのである。そうすると、良い文章を書くには、よく見聞きし、よく感じ、よく考えることが必要になる。
ということは、文章指導はじつは見聞きし、感じ、考える力を養うことを意味しているのであって、添削指導をするならば、それはそうした力の不足が現れているところを指摘し、よりよく見聞きし、感じ、考えた場合に文字表現されるであろう事柄を記述するように指導するというのが基本となる。
2000.07.21
【追記】上記は、ある人に頼まれて中高生向けの「小論文」添削指導をやっていたころに書いたものである。大学入試に「小論文」テストが加わったころのことだったと思う。
今にして思うと、あまり意味のないことだったかもしれない。
人は、読み慣れた文章からの記憶を頼りに文を書き、書き慣れるのだ。もっと言えば、読み慣れた文から思考法まで慣れていくのだ。あまり文を読まない人にとっては「聞き慣れた」でもよいだろう。
人は、言葉によって思考する。その思考を文字にするのが文を書くということだ。単なる伝達文や、事実を書くだけの文でも、思考なくして書いてはいない。そしてその思考は「言葉」で行っている。
だとすれば、「良い文章」は「良い思考」の反映である。「良い思考」の意味を考えるべきであろう。
子供のころ、「漫画ばかり読んでると、漫画みたいな人間になるぞ」と父親からよく言われたのを思い出す。その意味が本当に分かったのは最近のことである。20181221