自費出版-社史・記念誌、個人出版の牧歌舎

エッセイ倶楽部

牧歌舎随々録(牧歌舎主人の古い日記より)

069. 情報の独占

 昔の日本と現代の日本の相違を考える上で大きなポイントとなるのは政治・経済・社会・文化などの各面にわたって、情報を独占する指導者層と、情報がないためもっぱら指導者層に導かれる立場であった一般大衆との区分けの明瞭さである。
 文明のレベルが先進諸国に比して明らかに低く、国際的キャッチアップが国の最重要の課題であるとき、例えば外国の文献が主な情報源であった頃には、少なくとも語学の素養のある少数の者、外国へ旅行できる少数の富裕者、あるいは公務員の権限としてそういう機会を持つことの出来た少数の役人たち、などが常に大衆に先んじて情報を得るとともに、望むと望まざるとにかかわらず情報独占状態がそこに生じたことは、ある意味で仕方のないことであり、なによりも自然なことであった。そういう知識人、先覚者が、これを広く国民に知らしめるという啓蒙的な役割を果たすことにより、国全体としてのレベルアップが行われたわけである。
 しかし現代は、情報があふれており、これの独占ということがある程度あったとしても、往時に比べればその段差はわずかなものとなっており、またその傾向が未来へ向けても続くであろうことは容易にうかがい知られるところである。
 こうなってくると、たとえば国会の運営の仕方だとか、社会制度だとかについても、情報の乏しい時代には効果的だったが、現代にはそぐわないという事象が多くあり、改正すべきテーマは多いにちがいない。

1999.02.26