死後の世界はどんなであろうかという問いへの一つの答として、それは生まれる前の状態と同じだというものがある。ではわれわれがどこまでも記憶をたどれるものであるとしたら、それはどんなことであろうか。
「仮面の告白」の主人公は冒頭で自分が生まれた時の状況を記憶していると語るが、さらに追求すれば、母の胎内にいた時の記憶がある者がいても不思議ではあるまい。ではそれ以前はというと、精子や卵子であった時の記憶もないとは限らない。無論、脳というものがないのだから知的形式における記憶がないのはわかっているが、物質としての性質というか、ある法則が記憶以前の記憶として引き継がれているというふうに考えられる。
その「記憶以前の記憶」は、どんどん時代を遡ることができる。生命発生の原点にまでも遡るであろうが、さらに「記憶以前の記憶以前の記憶」として、無機的な物質に、さらにはエネルギーそのものにまで戻っていくのであろう。
われわれが死ぬときに起こることは、生命体としての意識の喪失だけでなく、じつはこのような類の記憶の喪失も起こるはずである。しかし死んで無機物質、さらにはエネルギーに変化することは、これは記憶のそもそもの母体への復帰であり、回復である。無機物質と化したわれわれは、無機物質としてのやり方で、そうした復帰を知るのであろう。
1999.05.09