たとえばプロ野球の選手とか大相撲の力士とかは筆舌に尽くしがたい猛練習、猛稽古を積んで力を付け、よりよい仕事を行うために努力するのであるが、決してそれは当人にとって苦役ではない。また高度成長期のいわゆるモーレツ社員の働きぶりは今日のサラリーマンのとても及ぶところでないが、苦役性という点ではたぶん現今のサラリーマンのほうがより多くそれを感じていると思う。
モーレツ社員というものが否定され、労働は「楽しい安全な人生」を送るための経済面を保障する単純な手段という意味合いが強くなり、仕事それ自体が人生を充足させる意義をもつという考え方が薄まるにつれて、仕事の量や密度は低下したが苦役性が増加してきたのは、理屈として当然の結果であるにしても、非常に皮肉なことである。
個人主義的な安定を求めれば求めるほど仕事の苦役性が増すのである。仕事それ自体に目的とする価値がないのに、経済的必要性に迫られて働くということは、いかに先進国の労働者であろうとも、それは苦役なのである。すなわち、人が最もそれから自由になるべき桎梏なのである。
1999.07.18