人生は不愉快なものであるとの感想のもとに生きていくのも一つのライフスタイルだ。
(追記)「不快」は生物的な反応としての感覚だが、「不愉快」は「思考回路」上に起こるきわめて人間的な精神現象である。自己の思想や美意識と相容れない他者の行動を認識したときに生起し、その規模が大きいほど度合も大きくなる。いわば自己の思想や美意識の「反表現」である。
「人生は不愉快なものである」ということを当然の前提として生きる、ということは、「理想主義者」として生きるということだ。つまり現実否定を貫く生き方だから一つの「ライフスタイル」と言ってもよいのかもしれない。
間違いなく、知的で、哲学的な生き方である。
ただ、彼にとって彼自身の生き方だけは「不愉快」ではないだろう。
そして、彼と同じ傾向の他者の行動を認めたとき、初めて彼は微笑むだろう。
微笑むだけでなく、初めて青空を見た子どものようにピュアな輝きをその瞳に宿すのだろう。
そのことの悲しさがある。
死んだ子が、現実に生き返ったという妄想がもたらした幸福を、痴呆のようになって信じた、という悲しみである。