自費出版-社史・記念誌、個人出版の牧歌舎

エッセイ倶楽部

牧歌舎随々録(牧歌舎主人の古い日記より)

062. 天皇陛下

 今の日本人には「公」の感覚がなく、戦前戦中の日本人にはそれがあったと言う人がいる。「国のために死ぬ」というようなことが大々的に言われていて、またそれを実行した人も多かったからだそうだ。
 本当だろうか。
 本当は、「天皇陛下のために死ぬ」ではなかったのか。「国のために死ぬ」と言ったのではない。正しくは「御国のため」と言ったのだ。なぜ「御」が付くか。それは国が自分のもの以上に天皇のものであったからだ。
 そんなものが、「公」の感覚なのだろうか。
 そもそも「陛下」というような尊称は、「猊下」「閣下」「殿」「様」などと同じく、私的な尊敬の念の表明であって、「公」の理念には属さないもののはずである。とすれば、「公器」であるべき新聞などに用いるべき用語ではない。にもかかわらず、新聞はおろか公文書にまで「陛下」が用いられたのが戦前戦中なのである。もちろん天皇と言うとき「陛下」を付けなければ軍隊では死ぬほど殴られたのである。
 私的な感覚を土台として「公」を形成していたのが帝国日本である。早い話が公私混同である。じつのところ、「公」などありはしないのである。
 世界的にみて、「公」が生まれたのは第一次世界大戦からである。総力戦には国民の協力がなければ勝てないから、帝国主義各国はどんどん国民の要求を入れた政策をとらざるを得なくなり、アメリカ式の民主主義に移行していった。ロシアではそれがさらにラディカルに進んでロシア革命となった。
 「公」の最も進んだのがアメリカとソ連であったればこそ、2大超大国となって第二次大戦後の構造を決定したといっていい。つまり、「公」の発達こそが国力をも増進させたといえるのである。
 もっといえば、「公」の行き着く先は社会主義なのであって、民主主義はその前段階であると理論的にはいえる。しかしこれは、社会主義が人間に実現可能と考えた場合そうなのであって、それが不可能なものであるとしたら、「公」の問題は民主主義の中で考えていくしかない。
 戦前の日本に「公」があったという人は、「日本人」というくくりでの「公」しか想定していない。世界市民など考えもしない。いや世界市民的な思想の対極にあるものこそ彼らのいう「公」であって、すなわちそれは民族主義なのである。
 この民族主義こそ、よくよく考えねばならない問題である。
 理想をいえば、民族主義が克服されて世界国家が形成されることが望ましい。しかしそれは可能か。われわれはこれを維持するシステムとして民主主義しか当面のところもちえないのであるが、その民主主義の核は「多数決」である。同一民族の中での多数決はそれが民族全体を結束させるがゆえに有効なのであるけれども、多民族間にこれを通用させようとすれば多数民族が少数民族を支配するシステムになってしまう。だから少数民族は独立を求める。そして世界国家は成立しなくなる。
 多数民族も少数民族もこれに参加するメリットがデメリットを大きく上回るシステムを考えなければならない。
 キーワードは「全体の利益」である。そしてそれは、それを行うとき、いくらか部分に負担を強いるにしても、そののちにその部分もその部分の価値観において向上する、といったことでなくてはならない。
 結局のところ、その部分部分の基本的な価値観、あるいはその核となる所にはふれずに物事を進めていく、といった手法でなければなるまい。イスラムに西欧的民主主義を押しつけようとしてもダメである。
 肝心なところは残しておくのである。お互いに「ふれない」のである。天皇が好きな人は好きでいいというようにしておく。イスラムに帰依する人はそれは当人の自由にしておく。その上で、たとえば移住の自由とか言論の自由を全体のルールとする。自分が天皇を崇拝する自由を確保するためには、他人が天皇を崇拝する自由も認めなければならないということにする。
 自由主義である。あるいは、多数決でも自由は奪えない民主主義である。
 自由は、当然ながら他者の自由を阻害しないということのみを規制要件とする。要するに、「他人に迷惑さえかけないならば、何をしてもいい」ということに徹するのである。そして他者を強制する行為は断じてこれを禁じる、ということにする。

1998.12.10