人がなぜ働くかは、あるいは生活の資を得るため、あるいは社会貢献を通じての自己実現のためと説明されるのであるが、その本当のところは分からないものである。決してカネのためだけではないし、社会貢献のためだけでもなく、両者を足しただけのものでもない。自己実現ということばはより本質的とは思うが、それにしても決して社会貢献を通じてのみということでもないようで、何だか分からないのである。
人が歴史を書き遺す意義は、あれこれのことばで説明できる理由を超えたハイブロウなものであると前に考えたことがある。人間が生きるということもまた、その理由はじつは思考ではとらえられぬ超越的なことなのではないかと思う。生物全体の、あるいはさらに物質全体の存在意義というものも、いってみれば宇宙の大きな意志に添うようなある「熱」をもっていて、人が働く本当の理由もまた、なにかやみくもな「熱」に突き動かされてというようなことではあるまいか。人が働く理由を説明するのに、あえて人がもつことばで最も本質に迫っているものを選ぶならば、それは「業(さが)」ということにでもなるのだろう。
1999.07.20