自費出版-社史・記念誌、個人出版の牧歌舎

エッセイ倶楽部

牧歌舎随々録(牧歌舎主人の古い日記より)

030.

 最近は「自分を知る」ということに心がけている。自分を知り、自分らしく行動するのが一番だ。そういうことを考えるようになった。努めて客観的に見ると、自分は自分が秘かに妄想するように立派なものではない。また、自分がそう思ってきたような性格でも必ずしもない。自分は比較的几帳面な方だと思ってきたが、仕事についてはある程度そうであるにしても、個人生活の面においてはまるでちゃらんぽらんである。これは私生活より仕事を重んずるというようなことでもない。それほど仕事好きなわけでは決してなく、いわば生計上の必要からやむなくそうしているのである。私の性格は基本的にちゃらんぽらんであって、仕事だけ仕方なくいくらか几帳面にやっている、というにすぎない。私生活の人間関係においては不実ですらある。日本人特有の公的生活の優先、それも元をただせばお上へのへりくだりに起因する卑屈な精神さえ、そこには見て取れる。自分はじつに矮小なるものである。それだけでなく、自分は本質的に「お調子者」である。いろいろなものに興味はもつが、飽きっぽい。早い話が軽薄である。こう考えてくると、自分がそれらしく振る舞おうとしていたものと、実情はことごとくが正反対である。このような情けない結論ではあっても、そういう自分を知らないよりは知る方がましである。無理に誠実で重厚であるかのように振る舞ってみたところで、所詮は自他に対する演技であるから、その分だけ本当の自分の人生を生きていない、あるいは本領を発揮できていないわけで、一度しかない人生を損していることになる。そこで自分を知り自分らしく生きるという話だが、それでは不実で軽薄に生きるべきなのかというと、ちょっと違う。そこが違うと思う。そういうネガなことではまずい。人生は気持ちの持ち方が肝心。ちょっと裏返す。不実はたとえば融通無碍、軽薄はたとえば自由闊達というふうにポジな方向に表現を変えてみる。すると融通無碍、自由闊達に生きることこそ自分らしい生き方ということになる。多少ごまかしの気味はあるが、無理に誠実重厚で行くよりはよほど楽だ。

1998.01.09