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牧歌舎随々録(牧歌舎主人の古い日記より)

156. 外国人労働者受入拡大法案について

 少子高齢化が急速に進み、労働人口が減少する中で、「技能実習生」の名目で受け入れてきた外国人労働者だけではまだ足りないということで、入管制度を改定して在留資格を広げる法案が成立した。これに対し、左右両翼から大反対の声が上がっているのが興味深い。

 いわゆる右翼的な勢力は、これを「実質的に移民を受け入れていく政策」であり「日本が解体させられる」という危機感から「国を守る」ために反対するのである。いわゆる左翼側としては「政権を支えている企業に利益を出させるため、高い賃金を払わなければ得られない日本人労働力を求めなくてもよいように外国人労働者を低賃金で受け入れるもので、日本人にも外国人にも不利益を与えることで企業利益を実現しようとするもの」であるとして反対する。

 私は、最低賃金も払われずに酷使され自殺者さえ多数出ているような現状さえ確かに改善されるなら、また右翼が言うように「日本の国柄をも変えてしまう」ほどに移民勢力が拡大しないならば、外国人労働者の受け入れは一種の必然として認めてもよいだろうとは思っている。

 しかしながら、このことについては、何か原理的に変ではないか、と思えるものが残るのである。

 受け入れるのは難民ではなく、また政府も言うことを信じるなら「移民」ではない。政府は「深刻な人手不足解消のために外国人労働者に来てもらう」と言っている。

 もし本当に「困っているから来てもらう」のであれば、日本人の最低賃金以上の処遇をするのがスジだろう。これが日本人相手の話だとすれば当然それが経済原則に則っているのであるから。

 なのに「最低賃金以上」であることしか条件とされないのは、変ではないか。これは要するに、国の経済力の差を利用して日本人が嫌がる低賃金労働を国内で外国人にさせるという、差別の肯定を前提とした政策なのではないか。昔の、朝鮮人労働者に対する明らかに差別を容認していた政策のように。

 これが難民、移民なら、最低賃金制度で保護されればよいだろう。経済原則の赴くところ、日本人と同等レベルの労働が、言語の問題などで難しければ低賃金(もちろん最賃以上でなければならないが)でも仕方があるまい。

 だが、今回は政策として「困っているから来てもらう」と言っているのだから、最賃ではまずいだろう。「言葉も覚えてもらうように日本語学校に行ってもらう」というのは、しなくてもよい努力をしてもらうと考えなければならない。そういう考え方をしないのは、「貧しい国からくれば最賃でもありがたいだろう」という考えがあるからである。ここに差別が発生しているのである。そして、これが企業を不当に利するのである。

 これが、国の形を根本的に歪め、国民性も歪めかねないのだから、右翼はむしろ「どうしても外国人にきてもらうというなら最賃以上で遇せよ」と言わねばならないところだ。そして左翼は外国人労働者のこの「最賃より上であるべき」ことを認めたうえで、日本人も外国人と同一労働同一賃金にせよ、ということで、日本人も外国人も現在の最低賃金以上としなければならないと主張すべきである。

 つまりは、「深刻な人手不足解消のために外国人労働者に来てもらう」ということは、少なくともその受け入れ業種においては、日本人も外国人も最賃以上を適用しなければならないことに、論理の必然として、なるのである。

2018.12.14