自費出版-社史・記念誌、個人出版の牧歌舎

エッセイ倶楽部

牧歌舎随々録(牧歌舎主人の古い日記より)

162..主義というもの


 世の中にはいろいろな「○○主義」がある。自由主義、民主主義、個人主義、社会主義、共産主義、理想主義、実存主義、自然主義、古典主義……。ネット上で調べてみると「主義一覧」というサイトがあって、思わず笑ってしまったが、それによるとだいたい200種類くらいの「主義」があるようだ。

 これを見ていて思ったのは、「主義」というのは、「何かのための方法論」として概念化できるもののようであって、人が生きるために「指針」を必要とする傾向が強いということがよく分かる。

 概念化ということは思考を進めるときに重要な精神行動であるとは思うが、概念は現実そのものではないことはいつも心しておくべきだ。一時的に必要な道具とくらいに思っておくのがよいだろう。

 誠実な人というのは、誠実主義者なのではない。人柄そのものが誠実なのだ。民主主義の反対語は君主主義なのだろうが、君主は君主主義で君主であったわけではない。民が民主主義で民であったわけではないのと同様だ。生物を成り立たせている根本はDNAであって、これに基づく反応の高度化の上に言語があり、言語活動の上に思考があり、思考活動の上に「主義」という現象が生まれている。これらは決して逆ではない。

 だから「主義」という言葉を用いてより望ましく有効な思考活動、精神活動を行おうとするならば、間違わないためには常に「DNA的チェック」を行っていかなければならないのであって、議論というものはその試みと考えるべきである。

 ○○主義に対立する□□主義があり、どちらが正しいか、どちらも正しくないか、あるいはどちらも正しいかは「DNA的チェック」として突き詰めていくべきものだ。

 「DNA的チェック」において、DNAそのものを人間が完全に言語レベルで把握するということは不可能かもしれない。だが、その姿勢が大切なのだ。

 こういうことを考えていくと、このチェックを得意とするのは男性でなく女性だろうという気がする。学者でなく芸術家だろうという気もする。つまり、言語以前の感覚力が基礎になるだろうということだ。

 思考という言語活動において「鋭さ」を得ようとすれば、言語に頼ってはいけないということだ。もちろん、言語として結実させて初めて「鋭い」のであるが、それはすでに了解された個々の言語内をいくら探しても見つかりはしない。言語の起源、あるいは言語の「まわり」、「気配」ということに敏感であろうとすることが不可欠なのである。

 「○○主義」に身をゆだねてはいけない。それは自ら一時的に使うだけの道具である。

2019.2.5