社史の制作をしていると、素人ながら政府の経済政策というものにも関心を持たざるをえないが、一応結論が出ている歴史上のことは理解できても、現在進行中の問題についてはどう考えていいかわからないということが少なからず出てくる。
野党は雇用者の平均実質賃金が下がっていることをもってデフレに対して無策だと政府与党を攻撃し、政府与党は総雇用者所得が上がっていることをもってデフレ解消中であると自賛している。
生産年齢人口が減少し人手不足が深刻化する中、増えているのは女性や定年後の高齢者および外国人労働者、つまり低賃金労働者である。そして労働者数だけで言えば今は空前の多数の労働者数に達している。この低成長下で、である。
労働者が増えるのだから総雇用者所得が伸びるのは当たり前だが、肝心の消費が伸びないのはなぜか。
低賃金では本当は働きたくはないのだが働く、というのは、それだけお金が必要だからである。だから低賃金労働者というのは稼いだお金はだいたい消費しているはずだ。ところが全体としては消費が伸びていないのだから、高賃金労働者がお金を使わない傾向が強まっていることになる。
大会社が内部留保をため込んで社員の賃金や投資に吐き出さないのと同様、高賃金労働者もなるべく物を買わずに貯金する。銀行の利息は安くても、デフレでモノの値段が下がればお金の値打ちは自然に上がっていくわけだし、インフレ時のようにお金を持っているうちに買いたいものの値段が上がっていく心配もないからだ。
貧しい労働者が増えて賃金を生活必需品入手のために全部使っても、高収入労働者がぜいたく品は買わないようにして生活必需品もより安いものへと買い物ランクを下げていけば、経済の拡大はないのだ。
人間は物欲によって経済活動をする。このようなデフレが続くと、会社というものはさらい無理なコストカットで利益を確保しようとして最賃割れで外国人労働者を使おうとしたり、政府がそれを結果的に助けることにつながる政策をとったりしかねない。そういうことをやっていると、結局、一般国民は、高収入労働者だった人も含めて、全体に貧しく、不安になり、ついには大きな混乱を来すことにもなり、挙句の果てには他国との戦争になったりもするのだ。
需要、つまり「欲しい」というものが、高度成長期の「三種の神器」のように国民に明確にあり、労働によってそれが獲得できるという状況を創らなければならない。デフレを克服しうる「新世紀の三種の神器」を考え出し、創り出すことこそ本当の「成長戦略」だろうと思う。
2019.2.1