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牧歌舎随々録(牧歌舎主人の古い日記より)

166.社史の制作・編纂をしながら考えたMMT


 MMT(現代貨幣理論)というものが、なんとなくだが、ようやくわかってきた。理論というよりは、事実の確認であり、今の世に存在するマネーの大半は銀行の信用創造(融資)で生まれ、また生まれ続けているということだ。
 また、商取引を始めとする大半の経済活動は現金の授受でなく帳簿上で行われる。帳簿上のマネーは、国内にある現金の総額の10倍もある。
 帳簿上の数字であるマネーはこうして銀行が生み出したものだから、利子の付くマネーである。利子が付くから、帳簿上のマネーは経済活動が進む中で増え続ける。増え続けなければ、銀行はさらに需要が増えるマネーを供給できなくなる。銀行の資金不足で、不況が到来する。だから政府が国債を発行し、銀行がそれを買って償還利息を日銀から得る。そうして増やしたマネーを銀行は貸し出してさらにマネーを増やしていくのである。
 そうやって、利息で需要が増え続けるマネーを補給するシステムなのであるから、過剰供給にならないように供給量を保つなら、国債は際限なく増発しても問題ない。つまり政府の借金がいくら増えても問題ないということである。これがMMTだ。
 問題は、マネーの供給増加の原因である利息はどこに行くのかということであるが、これは金融資本として蓄積され続けるのだ。どこにといえば、銀行にであり、銀行に預金を永続的に持っている者たちに、ということになる。これが資本主義だ。
 金持ちはより金持ちに、貧しいものは貧しいまま、またはより貧しくなるのが「正常な」資本主義なのだ。
 マネーというものがそういう生まれ方をする特質を持っている限り平等な配分は実現し得ない。いくらMMTで国の財政破綻があり得ないものとしてもである。
 通貨発行権を持つ者が利子のない通貨を発行することにならない限り格差は広がることになる。逆に言えばそうした「公共通貨」が政府に発行されることになれば金融資本は消滅する。そのため、政府に通貨発行権を持たせようとしたリンカーンやケネディが殺されることになったという説が徐々に評価され始めているのだ。

 人の世を支配してきた原理が、明らかにされつつある。これが批判されて新しい原理のマネーが生まれるとき、企業はどのように変質するだろうか。社史を制作・編纂する立場から、興味は尽きないのである。

2019.5.22