ユーチューブではさまざまな常識外れの歴史解釈、陰謀史観が出てきていて、面白い。
社史づくりや記念誌を制作するうえで、ある意味で参考にならないこともない。要するに、可能性としてはいろいろなことを考えておかねばならない、という程度の意味においてではあるが。
坂本龍馬の活動資金はイギリスの資本家から出ていたという説がある。そうでなければあれほどの軍事品調達の貿易活動ができたはずがないという。
これに限らず、世界を動かしてきたのは○○家などの大金持ちのユダヤ資本で、金儲けのために戦争を起こし、また第二次大戦後の冷戦さえ演出したという。朝鮮戦争の前にソ連がアメリカの介入を是認していたなど、いろいろな証拠があるのだそうだ。
太平洋戦争では、アメリカは日本の暗号をすべて解読していたので真珠湾攻撃を前もって知っていたとか、日本に戦争を起こさせるためにハルノートという最後通牒を突き付けたという。チャーチルがアメリカの参戦を望んでいたが、米国民は望んでいなかったので、ルーズベルトは日本に攻撃させて、それへの報復意識を国民に持たせることで、チャーチルの要求に応えたのであると。もしそれが本当なら、ルーズベルトは数千名の死傷者が出るのを知っていて見殺しにしたことになるのだが、その責任問題はどういうものだかあまり真剣に論じられているようではない。
ルーマニア革命についても、民衆の自然発生的な蜂起だとみられていたが、実際はCIAの謀略だったのだそうな。
このように、常識を覆す歴史解釈が次々と現れ、その真偽がなんとも自分では判断できないような状況がどんどん膨張していくときに、われわれはどのようにあるべきなのか。
白黒両様の歴史解釈がある場合の歴史記述は、あくまでも両論併記である。これは当然社史の記述においても然りである。
両論併記と言えば無責任な逃げのように思われるかもしれないが、実はそれが最も責任ある記述態度である。社史も含めた歴史書は、読む人に何らかの判断材料を与えるところにこそ本来的な意義をもつのである。
両論があるときに、あえて単論のみを記述するならば、それは何かの宣伝であり、まやかしであり、歴史の歪曲に誘導するものであると言ってよいと思う。実はそのような社史の制作態度をとっているのが、「社史業界」の実情と言ってもよいだろう。
2019.1.2