自費出版-社史・記念誌、個人出版の牧歌舎

エッセイ倶楽部

牧歌舎随々録(牧歌舎主人の古い日記より)

157. 天皇誕生日

 現天皇が天皇として最後の誕生日を迎えた。平成時代最後の天皇誕生日でもある。記者会見で最も注目されたのは次の言葉。

「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」

 これは、政治的な発言を決してしなかった天皇の、ついに行った政権批判であると私は思う。

 天皇が、昭和天皇と同様、決して政治向きのことに口出しせずにきたのは、「国民統合の象徴」としての絶対条件だからだ。相撲好きだった昭和天皇が「好きな力士はいるか」と聞かれて、「いるけれども、誰であるかは言えない」と答えたのは有名な話。相撲ですらそうであるから、政治についてどの政治家がどうだとか、どの政党がどうだとか、政策がどうだとかは全く語らなかった。2.26事件が大きく関係しているという説もある。

 現天皇も、その点では全く同じだが、前天皇以上に「平和主義」を強調する傾向があったと思う。上記の「象徴」の意味を追求するとき、平和が国民統合の前提であることを、多感な少年時代に、太平洋戦争で身をもって知ったからだろう。

 閣議決定だけで解釈改憲を行い「集団的自衛権」容認の安保法制を作った安倍政権は、北朝鮮との武力対決をも辞さないアメリカに追随して、「一触即発」とも言われた危機感の中で憲法改悪の環境を作ろうとした。そうした流れを、天皇は憂慮し、どこかで何か発言しなければと思いながら、自ら禁じてきたに違いない。おそらく皇后や、皇室一家の中ではそういう会話がなされていただろうと私は思っている。

 その懸念は、今でも天皇および天皇一家の中にあり、この、最後の天皇誕生日の機会をとらえて、「平成が戦争なき時代として終ろうとすることに安堵」の言葉になったのである。そのことは明白であると私は思う。誰でもそう思うのではないか。

 にもかかわらず、もし誰かにそう言われても、安倍晋三は、名指しされたわけではないから、「それは自分への批判ではない、一般的な平和主義を述べられただけだ」で通すのだろう。「象徴」の座に天皇が押し込められていることを悪利用するのである。天皇を利用することには、長州は幕末時代から長けているのである。

2018.12.23