自費出版-社史・記念誌、個人出版の牧歌舎

HOME > エッセイ倶楽部 > 牧歌舎随々録(牧歌舎主人の古い日記より) > 177.社史・記念誌の制作・編纂をしながらのオピニオン9

エッセイ倶楽部

牧歌舎随々録(牧歌舎主人の古い日記より)

177.社史・記念誌の制作・編纂をしながらのオピニオン9


老いるということ

 すでに74歳である。42歳でこの仕事を始めて、もう32年になろうとしている。
 40代はもちろん、50代でもよく働いた。60代前半までは、ほぼ全力で無我夢中で働けたと思う。
 60代の後半で、時間が経つのがやけに早くなってきた。仕事が進まない。以前3日でできたような作業が1週間経っても週間経ってもはかばかしく進んでいないことに自分で驚くようになった。すなわち、自分の活動がスローモーになったということだ。
 さらに、以前は仕事一筋に集中していた意識が、仕事以外のことに関心が向くようになった。
 これはそのころからYoutubeを観るようになったことにもよる。
 世の中には、これほどにも関心を持つべきことがたくさんある。勉強しなければならないことがこれほどにもたくさんあったのだということに気が付く。歴史のこと、政治のこと、人間についての知るべきことを、自分は知らないできた、という事実に目覚めてくるのである。
 そうすると、余計仕事にばかり集中するということがなくなってくる。もっと知らねばならない、考えなければならない、勉強して、何かをつかまなければならない。、もう人生の最終段階まで来たのだから、と思うのである。焦りでもある。肝心なことを知らないままに死んではもったいないではないか。
 ということで、さらに仕事にだけ集中はできず、能率は落ちる。
 実は、70代になれば、一定の財産みたいなものも最低限くらいは出来、少ない年金もあるので、仕事は若い者に任せて悠々自適の余生となるだろうと漠然と考えていた。
 ところがどっこい、今が人生で一番忙しい。というか仕事に追われる。能率が落ちているのに追われる。
 これはしっかり儲けてこなかった報いでもある。儲けないことこそお客への最も誠実な仕事の仕方だと思っていた。売値は極力安くしてなるべく儲けず、良い仕事をして、人に喜んでもらってなんぼ、生活は清貧を保てればそれでよいと思っていたが、結局それでは清貧も保てない。だから稼がなければならないと気がついた。余生どころではない。能率は上がらないのにますます追われる。歳は取る。今さら儲け主義への転換は難しいが、やらなければならない。いくらかでも。
 

2023.2.22